画一的なデザインしかなかった鉄道車輌に革命を起こした人物、
それこそが水戸岡鋭治だ。
本当に愛され続けるものを実直に追求する姿勢を貫き、
従来はタブーとされていた木材を使った内装を実現させた。
その一つの到達点が「ななつ星in九州」なのである。
過去に手掛けてきた仕事から今後のクルーズトレインに至るまで、
水戸岡鋭治が自らの仕事の過去と将来について語った。
水戸岡鋭治(みとおかえいじ)さん
1947(昭和22)年岡山県生まれ。県立岡山工業高校デザイン科卒業。サンデザイン(大阪)、STUDIO SILVIO COPPLA(ミラノ)を経て、72(昭和47)年ドーンデザイン研究所設立。
88(昭和63)年「アクアエクスプレス」で鉄道デザインに進出。JR九州をはじめとする車輌デザイン、公共デザイン、建・商業施設デザイン等に携わる。
「アクアエクスプレス」を皮切りに
鉄道の世界に足を踏み入れる
建物などの完成予想図になるパース画の制作をメインにこなしていた水戸岡鋭治が、鉄道車輌の世界に足を踏み入れたのは、JR九州発足の翌年にあたる1988(昭和63 )年のこと。アートディレクションを担当した「ホテル海の中道」(現・THE LUIGANS SPA &RESORT)の好評を受け、そこにアクセスするための列車のデザインの依頼がJR九州から届く。それが、香椎線の「アクアエクスプレス」だった。鉄道についてまったく知らない外部の人間の登用は、当時としては異例だった。
「私は右も左も分からないので、苦労でも何でもなかったのですが、周囲のみんなが大変だったみたいで……。私がデザインしたものを作るために努力したJR九州の車両課の人たち、それから工場の制作チーム、彼らの苦労は大きかったでしょう。何しろ、私は鉄道のルールも知らなければ、コスト感覚も分からずに『こんなのがあるといいね』という希望を膨らませたわけなので…… 」。
アクアエクスプレスでは、当時では類を見ない真っ白な車体が採用された。
「車体を白にしたいと希望しても、実際に現場で制作する側からは『それは困ります』という返答の連続でした。『どうして困るのですか』と尋ねても、『白だと汚れが目立つ』とか『前例がない』とか、そういった答えばかりで、『それが正解ではないよね』と思う場面に直面したものです。とはいえ、船でもヨットでもボディは真っ白なのが当たり前です。アクアエクスプレスは博多湾や玄界灘の近くを走るので、『ヨットのような白い電車』を想像して白にしたのです」。
その後も水戸岡は、JR九州の車輌デザインを手掛けてゆく。国鉄時代に製造された特急用の485系電車では、JR 九州のコーポレートカラーである赤一色の塗色にした。後
に「レッドエクスプレス」の愛称で親しまれた車輌である。
「赤の塗色は、私からの提案です。それ以前にも、JR 九州バスの『レッドライナー』でバスを真っ赤に塗った実績があり、赤は可愛らしく、さらにインパクトも出て、楽しそうに見えるのです。当時は、JR 九州の仕事が今後10年、20年と続くとは思っていなかったので、一過性の関係で終わるのだからと、思い切った色を使ったのです」。
鉄道車輌に豊かな色彩を取り入れたという点では、水戸岡デザイン車輌の原点の一つといえるだろう。
「子どもの時の鉄道車輌は、蒸気機関車(SL)の黒、客車の濃い茶色、それに客車特急の濃いグリーンやブルーくらいで、“色”を感じない。ところがヨーロッパを旅したとき、日本とは鉄道車輌の色が違うことを体験しました。それゆえ、真っ赤な車体というのも、ヨーロッパの車輌をイメージして作ればいいのではないか……そんな軽い気持ちでしたね」。
手をかけて作ったものにこそ
本物の感動が宿ると信じて
JR九州の787系電車は、博多~西鹿児島(現・鹿児島中央)間を走る特急「つばめ」で1992(平成4)年にデビュー。この車輌こそ、水戸岡が内観・外観を含めた車輌のすべてをデザインした最初のものである。水戸岡車輌の代名詞となっている木材をふんだんに使った内装も、この787系が初めてだ。水戸岡の実家では家具の製造を生業にしていたので、幼少期から木のことをよく知っていたのだ。
「木といっても、木材は一種類だけにせず、部屋や目的、空間ごとに使い分けるようにしています。木にはそれぞれ個性や特徴があり、それを活かしたぬくもりのある空間を作りたいと思っていました。工業製品の中に天然素材が失われてゆく時代だからこそ、やっぱり天然素材は心地いいという実感を持っていたのです」。
とはいえ木材は燃えやすく、鉄道の安全輸送に影響を与えるため、その使用は制限を受ける。そのため、可能な限り天然素材にこだわることが、それ以降の水戸岡の仕事の大きなテーマとなった。乗客が目に触れるところで、金属を使わないようにするにはどうしたらよいのか……。その到達点が、豪華列車「ななつ星in九州」となる。
「ななつ星では、木を0.15mmくらいに薄くスライスし、それをアルミに貼り付けるようにしています。燃焼実験を行い、どうやったら燃えにくいのか試行錯誤して生み出されました。見た目はすべて木でも、中は最先端の技術でできている。これにより、床も壁も天井も、すべて木を使って表現できるようになったのです。クラシックに見えますが、実は最先端の技術なのです」。
そんな「ななつ星」のようなクラシック車輌も、水戸岡は今後作るのが難しいと考えている。
「良い材料が手に入りにくく、それを手掛ける職人も減ってきています。さらに、昔の様式を理解しているデザイナーが、今どれくらい残っているのでしょうか。クラシックなデザインというのは、図面の量が3 、4倍にもなるので、手間暇がかかります。一方、現在のデザイン作業では、手をあまり動かさずに済ませる方法が重視され、それをよしとする風潮もあります。とはいえ、作る側はクラシックを敬遠しても、利用者はクラシックを望んでいる。昔の懐かしい汽車に出会うと『あぁ、いいよね』って思うものなのです。それを実現するのは難しい作業ですが、それに挑戦したからこそ、ななつ星が生まれたのです」。
ヨーロッパ旅行で
クルーズトレインに出会う
クルーズ客船のように豪華な旅ができるクルーズトレイン。そもそも「ななつ星」登場以前は、日本には存在しなかった。
「私に“クルーズトレイン”という名前を教えてくれた人がいます。それは、この人です」と水戸岡が指差した人物こそ、本記事のカメラマンである川井聡である。二人は旧知の仲で、「ななつ星」登場以前から交流を深めていた。
「川井さんは事あるごとにクルーズトレインの話をしてくれていましたが、私は乗ったことがないので、それが何だか分からなかった。でも、川井さんとスペインを旅行したとき、その時に乗った列車が『クルーズトレイン』を名乗っていた。当初は豪華列車なのだろうとしか思っていなかったのですが、列車を出て観光名所を回ったり、外で食事をしてからまた列車に戻ったりと、多様性をもった旅を体験したのです。そのときに『これがクルーズトレインなのか』と初めて分かりました。これなら、列車の中だけの旅は無理という人でも受け入れられ、日本でもうまくいくのではないか……そんな直感が働いたのです。そのときの体験を、ななつ星に重ねてゆくことになります」。
クルーズトレインの魅力は数多いが、水戸岡はその中でも食の重要さを訴え続けている。
「私の最初の旅は、親父と神戸まで乗った2時間半くらいの列車旅でした。母親が作った弁当を車内で食べたとき、前の席にいた知らない人と会話しながら食事を楽しんだものです。後に社会人になり、大阪から東京までの出張で初代新幹線の0系を利用したときには、車内にあるビュッフェで名物のハンバーグ定食を注文しました。ちょうど富士山を眺めながらハンバーグを味わうことができ、これも印象に残っています。そうした体験から、食がないと思い出が作れないというか、感動が深まらないというか……。現在では廃れた食堂車ですが、そもそも食なしの旅なんてあるのだろうかという気持ちをずっと持っています」。
柿右衛門の遺作にまつわる
「ななつ星」の知られざる逸話
JR 九州の看板列車になっている「ななつ星」。デビューから9年余りを経た2022(令和4)年、車輌の大幅リニューアルを実施した。 「本当は手を入れたくないというのが本音でした。そのままでも十分やっていけたのですが、現場の意見により、客室を減らして定員を30人から20人に減らしたのです。20人にすれば、1号車のラウンジカーに全員が着席でき、みんなが一堂に会してイベントなどが楽しめる。以前はどうしても、2 つにグループ分けする必要があり、旅の一体感が生まれにくかったのです。そのため、スタッフから20人にしてほしいという希望が挙がったのです」。 今では「ななつ星」は、世界一の列車という呼び声もあるほど、高いブランド価値を誇る。沿線の人々にも受け入れられ、幅広い人気を獲得している。
「当時のJR九州社長の唐池恒二さんは、『世界一の車輌を作りたい、世界一の車輌でないと価値はない』とずっと口にしていました。世界で最も豪華な『オリエントエクスプレス』にも負けない設備とサービスにこだわり、たとえ小さな装飾品の一つでも負けないだけの準備をしようというのは、ずっと心に抱いていました」。
そのこだわりの象徴ともいえるのが、九州の工芸品を使った車内の調度品の数々だろう。中でも14代「柿右衛門」の洗面鉢は、「ななつ星」のデビュー当初から話題をさらった。
「日本の焼き物は世界的にも評価が高く、その中でも有田焼の知名度は群を抜いています。ヨーロッパのクルーズトレインでも伝統的工芸作家が参加しているので、それに匹敵するものがないかと探し続け、有田焼が思い浮かんだのです。有田焼の代表といえば「柿右衛門・今右衛門・源右衛門」の“三右衛門”です。中でも当時の柿右衛門さんは人間国宝なので、手が届かない存在だと思っていました。ところがお会いして話をすると、柿右衛門さんから『私たちの仕事だと思う』と快諾の言葉をいただいたのです。手掛けた作品のほとんどが個人宅への提供で、多くの人が利用する公共空間に作品を置いたことはあまりなかったようです。予算もスケジュールもないと伝えたのですが、それでも引き受けていただきました。柿右衛門さんが参加してくれたことで、ななつ星で日本の美のひとつが表現できたと思います」。
柿右衛門が手掛けたのは、料理で使う食器ではなく、洗面所の洗面鉢というのが興味深い。
「明治の頃の古い日本の豪邸で、美しい洗面鉢があるのを目にしたことがあり、こんなものがあったらいいなぁと思っていました。とはいえ、さすがに洗面鉢とは言いにくかったのですが、思い切って伝えると『面白いですね』となったのです。私はサイズだけしか指定していないのですが、柿右衛門さんからは丸形や七角形、八角形などいろいろなものを作っていただきました。ななつ星の7号車にある最もグレードの高い701号室には、鯉を描いた洗面鉢があります。これこそが、柿右衛門さんが生前最後に手掛けたものです。がんに侵されて手が震える中で仕上げたもので、納品されてまもなく亡くなられました。その遺作を取り付けて試運転した時、水を張った状態で見てみると、水が揺れて波紋ができ、まるで鯉が泳いでいるように見えたのです。その時に『柿右衛門さんはこれがやりたかったのだな』と理解しました」。
全国を走るクルーズトレインこそ
地域活性化の切り札となる!?
JR九州以外でも、水戸岡車輌は各地で活躍している。その中で「ななつ星」に匹敵するほどの豪華な列車といえば、東急電鉄の「ザ・ロイヤルエクスプレス」だろう。
「この車輌のすごさは、4カ月で作ったことでしょう。ななつ星時代からの職人たちが集まったことで、外も中も全部ひっくるめて4カ月で作ったのです。まるで豊臣秀吉が一夜で築いた“一夜城” みたいな感じで。東急電鉄側では、たとえばイスを手掛ける職人に対して、東急が直接契約しており、代理店などを仲介していません。そんなケースはほとんどないことなのです」。
通常は横浜~伊豆急下田間を運行する「ザ・ロイヤルエクスプレス」だが、夏季には「ザ・ロイヤルエクスプレス ~北海道クルーズトレイン~」として、北海道へ出張運行を行う。夏の通例になっており、2023(令和5 )年で4回目の運行となる。
「JR 北海道では廃線が続いて苦戦していますから、以前から何とかしたいと考えていました。JR 北海道に観光列車の旅についてプレゼンしたこともあります。たとえば、駅に宿泊施設を作って宿泊するプランにすれば、車内に宿泊設備を作る必要もない。土地はあるのだから、ホームに簡単な宿泊施設や風呂を作ればいいのです。車内に風呂を取り付けるのは大変で、費用もかさみます。車内設備はシンプルでも、いい車輌だったら十分でしょう。これくらいの軽い感じにすることが、クルーズトレインの進化型だと思います。ザ・ロイヤルエクスプレスの北海道での運行は、その第一歩。これまでローカル鉄道のピンチの時に協力できればと力を尽くしてきましたが、その最後が北海道になるかもしれません」。
北海道は、最高の鉄道観光地になる可能性を秘めているという。
「鉄道で旅をして一番楽しい場所は、北海道だと思っています。なぜなら、自然と環境面で圧倒的な贅沢さがあるからです。仮に車輌が走らなくても、景色が素晴らしいので車内にいるだけでも楽しいくらい。出来ればホームに宿泊して、その周囲をみんなで散策してゆったり過ごす…… そんな旅が理想的ではないでしょうか。時速15kmくらいでノロノロ走っていても楽しめるはずです。2時間くらいの列車旅というのは、本当にあっという間。車内で食事をするなら、3時間はないともったいないので、ゆっくり走るのです。一番美しいところだけ走り、あとは車を使ってもいい。鉄道界ではそうした意見が非常識みたいに思われ、簡単には受け入れられませんが、楽しければいいのです。夏だけでなく、冬も美しいので走らせるべきでしょう。『冬は大変だから』という意見も現場ではあるようですが…… いやいや大変だからこそ面白いし、価値があるのです」。
北海道での人気もあって、「ザ・ロイヤルエクスプレス」は2024年1~3月に、瀬戸内・四国エリアでの出張運行も予定されている。新幹線で岡山駅に降りたら、ザ・ロイヤルエクスプレスが待ち構え、そのまま瀬戸大橋を渡って四国に向かうという。
「四国だけでなく、たとえば東海エリアなどでも走らせることができればと考えたりもします。JR東海エリアには観光列車があまり走ってないので、最適なはずです。特に静岡県内の天竜川周辺は、手付かずで自然が残っています。国鉄からJR になって分社化されたけれど、日本中を走り回る観光列車があるべきだと思います。小さな田舎町では観光列車は持てなくても、JRが一致協力して観光列車を日本の末端まで走らせる。最高の観光地というのは、何もない終着駅にあるのです。そんな素晴らしい観光列車があれば、地域の活性化にもつながります。それだけ鉄道の存在価値は高いものなのです」。
Information
水戸岡鋭治の集大成!
「デザイン&イラスト図鑑」発売
水戸岡鋭治とドーンデザイン研究所がこれまでの仕事のために描き続けたイラスト・図版を集めた一冊。収録点数は大小合わせて、なんと約3000点にも及ぶ。鉄道車輌を中心に、船舶やバスなど鉄道以外の交通機関、さらに駅舎やリゾート施設など、その多岐にわたる仕事ぶりを窺い知ることができる。一つのものでも、外観や内観はもちろんだが、ロゴやシンボルマークに至るまで描かれ、トータルデザインとは何なのかを示している。
本の制作全般を担う編集作業についても、本書では水戸岡が自ら担当。ミュージアムの中を歩いて回る感覚で見てほしいと、各イラストは額縁に入れた形で掲載されている。この額縁ももちろん水戸岡らがデザインして描いたもので、本一冊まるごと水戸岡のこだわりが詰め込まれているのだ。
膨大な仕事量に目を奪われがちだが、各イラストの緻密な書き込みぶりも堪能したい。一点ずつよく見れば、太陽光による陰影表現や座席のモケットの繊細な模様など、気が遠くなるほど色分けが細かくなされていることが分かるだろう。それゆえ、本書冒頭では虫眼鏡を使って見るのを勧めている。各イラストは、水戸岡の頭の中にあるイメージを発注元に示すために描かれたもので、いわば言葉での説明を補うためのものである。それゆえ、収録されているイラストには言葉での説明はない。